日本映画界の至宝として、半世紀以上にわたりトップを走り続ける女優・吉永小百合(よしなが さゆり)さん。
清純派の代名詞として老若男女から愛される彼女ですが、その私生活は「静」のイメージとは裏腹に、非常に情熱的で、一途な愛に満ちたものでした。
結婚歴は一度のみで、揺るがぬ想いを大切にしてきた人生がうかがえます。
1973年、世間を驚かせた電撃結婚から、2024年に最愛の夫を看取るまでの51年間。
吉永さんが生涯で唯一愛し、結婚した男性はどのような人物だったのでしょうか。
それではさっそくですが、
吉永小百合さんの結婚歴や旦那様である岡田太郎さんとの家族の猛反対を押し切ったドラマチックな馴れ初め、さらには夫婦円満の秘訣について詳しくご紹介します。
吉永小百合(よしながさゆり)のプロフィール!年齢や経歴や現在も紹介!

- 本名:岡田小百合(旧姓:吉永)
- 生年月日:1945年3月13日
- 年齢:80歳(2025年12月現在)
- 出身地:東京都渋谷区代々木
- 学歴:早稲田大学第二文学部 卒業
早稲田大学を卒業した努力家
吉永さんは、10代からスターとして多忙を極めたため高校を中退していますが、その後、猛勉強の末に早稲田大学第二文学部へ進学しました。
トップ女優として映画撮影をこなしながら、留年することなく卒業。
卒業論文のテーマは「アランの幸福論」でした。
彼女が今もなお持ち続けている知性と凛とした振る舞いは、こうしたひたむきな努力から培われたものです。
日活黄金期からレジェンドへ
1960年代、日活の看板女優として浜田光夫さんとのコンビで「サユリスト」と呼ばれる熱狂的なファンを生みました。
1962年の映画『キューポラのある街』では、当時最年少でブルーリボン賞主演女優賞を受賞。
堀田六三郎(花沢徳衛)の妻咲子を演じているのは杉山とく子(1926~2014)さん。1948年劇団俳優座入団。1949年「白鳥は悲しからずや」で映画初出演。映画、テレビドラマで活躍。吉永小百合の母親を演じた「キューポラのある街」が印象深い。
— k.osawa (@kosawa196004051) January 8, 2024
キューポラのある街(1962)#たんとんとん pic.twitter.com/A8XJzH4wNC
出演映画数は120本を超え、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を歴代最多の4回受賞。
引退することなく、常に「現役」の映画俳優として立ち続ける姿は、まさに生ける伝説といえます。
吉永小百合の結婚歴は1回!結婚はいつで夫の岡田太郎(おかだたろう)との馴れ初めは?
亡くなった岡田太郎が、「吉永小百合の夫」「妻は吉永小百合」とばかり語られるのは、悲しいなあ。『日日の背信』で「よろめきドラマ」ブームを生んだ、フジテレビを代表する気鋭のディレクター。NHKの和田勉やTBSの岡本愛彦らと並び称される存在で、雑誌で大々的に特集が組まれるほどだった。 pic.twitter.com/18HCYWaGVi
— 濱田研吾 (@hamabin1) September 13, 2024
吉永小百合さんの結婚歴は、後にも先にも「1回のみ」です。
二人の結婚は、1973年。
馴れ初めは、「スター・吉永小百合さん」が唯一、“一人の女性”として素直に心を開き、悩みを打ち明けることができた存在が岡田太郎(おかだ たろう)さんだったこと。
そのお相手が、元フジテレビディレクターの岡田太郎さんでした。
一度の離婚も再婚もなく、半世紀以上を一人の男性と添い遂げました。
夫・岡田太郎は「映像界の重鎮」
岡田さんは、フジテレビ時代にドラマ『男はつらいよ』のテレビ版(映画化される前)の演出を手がけるなど、名プロデューサー・ドラマ監督として鳴らした人物です。
後に共同テレビジョンの社長や会長を歴任し、テレビ業界の発展に大きく貢献しました。
豪快な性格ながら、繊細な演出力を持つ「テレビ屋」として周囲から慕われていました。
声が出なくなった窮地を救った「15歳差の愛」
二人の出会いは1970年代。
当時の吉永さんは、あまりの過密スケジュールと「清純派」というイメージの重圧から、精神的に追い詰められ、声が出なくなるほどの不調に悩まされていました。
そんな彼女の相談に親身に乗ったのが、15歳年上で包容力のある岡田太郎さんでした。
岡田さんは吉永さんにとって、スターではなく「一人の女性」として向き合ってくれる唯一の避難所となったのです。
周囲が驚く「年の差婚」でしたが、吉永さんにとっては人生で最も重要な「自立」への一歩でした。
2024年に51年間の夫婦生活に幕
長年、吉永さんを陰日向となって支え続けた岡田さんですが、2024年9月3日、94歳でこの世を去りました。
吉永さんは仕事の合間を縫って病院へ通い詰め、最期をしっかりと看取られました。
という感謝の言葉で送った別れは、理想の夫婦像を象徴する幕引きとなりました。
吉永小百合は結婚を反対された過去があった!
吉永小百合さんは、ご両親の反対を押し切って15歳上の岡田太郎さんと結婚されたんですね。当時のサユリストのショックはそれは大きかったでしょうね🥹岡田太郎さん、94歳。ご冥福をお祈りします🙏 pic.twitter.com/AUwNNBERIH
— みりん💐🌹🌸 (@mirinrurururose) September 14, 2024
今でこそ誰もが羨む夫婦仲として知られますが、結婚への道のりは想像を絶する困難の連続でした。
両親からの猛烈な反対
吉永さんの結婚を最も激しく拒んだのは、実の両親でした。
反対の理由は主に3つ。
- 15歳の年齢差
- 岡田さんに離婚歴があったこと
- 稼ぎ頭である娘を手放したくないという親の依存心
特に母親の反対は凄まじく、結婚後には岡田さんを批判する随筆を出版するなど、親子関係は絶縁に近い状態まで悪化しました。
この確執は長年続き、吉永さんにとって深い心の傷となった時期もありました。
「操り人形」からの脱却と自立
それまで吉永さんは、両親がマネジメントを握り、仕事も私生活も管理される「操り人形」のような生活を送っていました。しかし、
岡田さんは結婚の際、「女優である前に、まず私の妻であってほしい」という言葉をかけました。
これは、仕事を辞めろという意味ではなく
という、過酷な労働から彼女を守るための愛のメッセージだったのです。
吉永小百合さんが幼少期から晩年に至るまで、母親とどのような関係を築いてきたのか気になる方は、ぜひこちらもあわせてご覧ください。

50年以上続いた夫婦円満の秘訣とは?
“もっと2人だけでいたかった”♥️
— 長崎は今日も雨だった (@kohji_musha) March 26, 2025
ヨーロッパの新婚旅行を楽しんでいた吉永・岡田氏夫妻が約1ヵ月ぶりに帰ってきた。#ラジオ深夜便
ハネムーンから帰国した吉永小百合・岡田太郎氏夫妻(昭和48年) pic.twitter.com/1QxvTDBXNM
吉永さんが50年以上にわたり、多忙な女優業と家庭を両立できた秘訣はどこにあったのでしょうか。
お互いを尊重し合う「自立した関係」
岡田さんは、吉永さんの仕事を一切制限せず、むしろ一人のプロとして尊敬し続けていました。
吉永さんもまた、旦那様の仕事を尊重し、家庭内では仕事を忘れられる安らぎの場を作るよう努めました。
日常の感謝を言葉にすること
吉永さんは、どんなに忙しくても岡田さんへの「ありがとう」を言葉にすることを欠かさなかったといいます。
2024年に岡田さんが亡くなった際、吉永さんは
と清々しく語りましたが、それは51年間の間に、伝えるべき愛と感謝をすべて出し切ったからこその境地だったのかもしれません。
まとめ|吉永小百合の結婚歴は1回!結婚相手の岡田太郎との馴れ初めや壮絶な反対劇も!
吉永小百合さんの結婚歴と旦那・岡田太郎さんとの歩みをまとめました。
- 結婚歴: 1973年以来、岡田太郎さんとの1回のみ。
- 旦那様: 映像界の重鎮であり、吉永さんの心身を救った岡田太郎さん(2024年逝去)。
- 馴れ初め: 精神的スランプを支えたことがきっかけで、15歳の年の差を乗り越え結婚。
- 反対の過去: 両親の猛反対を押し切り、「一人の人間としての自立」を勝ち取った。
彼女がスクリーンで見せる凛とした美しさは、最愛の伴侶と共に築き上げた51年間があったからなのでしょう。
これからの吉永小百合さんからも目が離せませんね!
それではまたお会いしましょう!


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