日本映画界の至宝であり、今なお「サユリスト」と呼ばれる熱狂的なファンを魅了し続ける女優・吉永小百合さん。
その上品で洗練された雰囲気から、誰もが羨むような「お嬢様」としての人生を歩んできたように見えます。
しかし、その微笑みの裏側には、
幼少期の極貧生活、一家の家計を背負わされた重圧、そして最愛の母との長年にわたる深い確執という、壮絶なドラマが隠されていました。
それではさっそくですが、
吉永小百合さんの知られざる原点である「母・和枝さん」との関係にスポットを当て、なぜ二人の間に溝が生まれたのか、そしてどのようにして和解に至ったのかを詳しくご紹介していきます。
吉永小百合のプロフィール!年齢や学歴や経歴は?

- 本名:岡田 小百合(旧姓:吉永)
- 生年月日:1945年3月13日
- 年齢:80歳(2025年12月現在)
- 出身地:東京都渋谷区代々木
- 学歴:早稲田大学第二文学部 卒業
- 所属:吉永事務所
1957年、小学校5年生の時にラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビューした小百合さんは、10代にして日活の看板女優となります。
あまりの多忙さに高校生活は困難を極めましたが、都立駒場高校から精華学園女子高校へ編入し、卒業。
驚くべきは、人気絶頂期に早稲田大学第二文学部(西洋哲学専修)へ進学したことです。
ロケの合間に教科書を開き、睡眠時間を削って勉強に励んだ彼女は、なんと大学を次席で卒業しています。
この「学び」への執着こそが、後に母との関係を見つめ直す知性へと繋がっていくのです。
吉永小百合の母親はピアノの先生!幼少期の苦労も!

吉永小百合さんの母親・和枝さんは、非常に教養のある女性で、自宅でピアノの先生をしていました。
しかし、その優雅な職業とは裏腹に、一家の生活は綱渡りの状態でした。
父親の事業失敗と「極貧」
父・芳之さんは東京帝国大学(現・東京大学)を卒業したエリートで、外務省の外郭団体に勤めていました。
しかし、戦後の混乱期に自ら興した出版社が倒産。
その後も事業の失敗が重なり、吉永家は一気に貧困のどん底へ突き落とされました。
一時期は、一家5人が一間きりのアパートで暮らし、母親がピアノ教室で稼ぐわずかな月謝が唯一の頼りだったといいます。
小百合さんは当時のことを
と回想しています。
「子役」は家族を救うための手段
小百合さんがわずか11歳で芸能界に入ったのは、華やかな世界への憧れだけではなく、切実な「家計の助け」という側面がありました。
彼女が稼ぎ出す出演料は、そのまま一家の生活費へと消えていきました。
10代半ばにして、彼女は家族全員の運命を左右する「大黒柱」となってしまったのです。
吉永小百合の母親との確執とは?
この頃はミステリーブームで鉄人28号の正太郎など少年探偵が少年誌のヒーローでした、「まぼろし探偵」ではレギュラーが子役時代の吉永小百合でしたね、 pic.twitter.com/mUazDbIDj9
— だんく (@makisirou) September 2, 2024
かつて「理想の親子」とも称された二人ですが、その内情は複雑な愛憎に満ちていました。
なぜ、深い確執が生まれてしまったのでしょうか。
その理由は、
1. マネジメントという名の「束縛」
2. 結婚への猛反対と「絶縁」
詳しくご紹介していきます。
1. マネジメントという名の「束縛」
当時の映画界は、家族がマネージャーを務めるのが一般的でした。
母・和枝さんもまた、小百合さんのスケジュールやギャランティの管理を一手に担っていました。
小百合さんは後に、
と告白しています。
母の期待に応えたいという愛と、自由を奪われる怒り。
この矛盾が、彼女の心を蝕んでいきました。
2. 結婚への猛反対と「絶縁」
確執が決定的となったのは、1973年。
小百合さんが15歳年上のテレビプロデューサー・岡田太郎さんとの結婚を決めた時でした。
和枝さんはこの結婚に猛烈に反対しました。
その理由は、単なる年齢差ではありませんでした。
という、経済的な不安が母の反対の根底にあったとされています。
この反対を押し切って小百合さんは結婚を強行しましたが、両親は結婚式を欠席。
ここから、母娘の長い断絶期間が始まりました。
吉永小百合の母親との和解と晩年の看取り
長らく距離を置いていた二人ですが、時が経つにつれ、変化が訪れます。
「一人の女性」として母を許すまで
結婚後、岡田太郎さんというパートナーに支えられ、自立した一人の女性として歩み始めた小百合さんは、次第に母への憎しみを「理解」へと変えていきました。
「母もまた、貧困の中で家族を守るために必死だったのではないか」
そんな風に思えるようになったのは、彼女自身が年齢を重ね、多くの役柄を演じる中で人間の複雑さを知ったからかもしれません。
最後の恩返し
和枝さんが高齢になり、介護が必要になると、小百合さんは献身的に母に寄り添いました。
かつての確執を水に流し、娘として母の最期を支えることを選んだのです。
母・和枝さんが90歳で亡くなる直前、小百合さんは母が大好きだった日本酒を買いに走り、その唇を潤してあげたといいます。
その時、二人の間に流れていた長い間のわだかまりは、静かに消えていったのではないでしょうか。
吉永小百合さんの結婚歴や旦那・岡田太郎さんとの馴れ初め、円満の秘訣が気になる方は、ぜひこちらもあわせてご覧ください。

まとめ|吉永小百合の母親はピアノの先生!幼少期の苦労や結婚反対の確執と晩年の和解も!
ということで今回の記事では、
吉永小百合さんの母親・和枝さんとの間に溝が生まれたのか、そしてどのようにして和解に至ったのかを詳しくご紹介しました。
- 母の存在:ピアノ教師として家計を支えた強き母。
- 確執の理由:貧困ゆえに娘を「稼ぎ頭」にせざるを得なかった背景と、自立を巡る対立。
- 結末:結婚という自立を経て、晩年には深い愛で母を看取った。
「国民的女優」と称される吉永小百合さん。
その穏やかな笑顔の奥には、私たちと同じように親子の絆に悩みながらも、自らの人生を切り拓いてきた、一人の人間としての強くしなやかな意志が息づいていました。
彼女が今もなお、映画の中で深い慈愛に満ちた表情を見せるのは、この過酷な親子関係を乗り越えた先にある「寛容」があるからなのかもしれませんね。
それではまたお会いしましょう!


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