【画像】桂米團治の兄弟は双子の弟!次男は高校教師で三男は博物館の学芸員!

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上方落語界を代表する実力派落語家・桂米團治(かつら よねだんじ)さん。
五代目・桂米團治として、人間国宝である父・桂米朝(かつら べいちょう)さんからから受け継いだ落語の伝統を守り続けています。

じつは、米團治さんには双子の弟がいることをご存じでしょうか?
しかも、その双子の弟たちは、まったく別の世界で活躍しているんです。

それではさっそくですが、
桂米團治さんのプロフィールや米團治さんの兄弟の職業、そして米團治さんが落語家になった理由も詳しくご紹介していきます。


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目次

桂米團治(かつらよねだんじ)のプロフィール!年齢や出身は?

引用元 引用元 https://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/guest/0157/
プロフィール
  • 本名:中川 明(なかがわあきら)
  • 生年月日:1958年12月20日
  • 年齢:66歳(2025年11月時点)
  • 出身地:大阪府大阪市南区(現・中央区)
  • 師匠:3代目 桂米朝
  • 名跡:3代目 桂小米朝(1978年 – 2008年)5代目 桂米團治(2008年 – )
  • 所属:米朝事務所
  • 趣味:ピアノ演奏、絵画製作、神社巡り、モーツァルト、国際経済、古代史の研究
  • スポーツ:サッカー、陸上競技

桂米團治さんの父は人間国宝の三代目・桂米朝さんで、まさに上方落語の名門に育ちました。

高校を卒業後、関西学院大学文学部に進学。
その知的な話しぶりや丁寧な語り口調は、落語家としての大きな魅力の一つになっています。

1980年に父・米朝に弟子入りし、「桂小米朝」として初舞台。
その後、古典落語を中心に幅広く活躍し、2008年に「五代目 桂米團治」を襲名。

上方落語協会の副会長も務め、全国各地で独演会を開催。
その華のある語り口と、クラシック音楽やミュージカルを取り入れた新しい落語で幅広いファンを獲得しています。

【画像】桂米團治の兄弟は双子の弟!次男の仕事は高校教師で三男は博物館の学芸員!

桂米團治さんの兄弟には、双子の弟がいます。
つまり米團治さんは三兄弟の長男。
その弟たちも、それぞれ異なる道で活躍しているんです。

次男の中川透(とおる)は高校教師!

桂米團治さんの兄弟・次男の中川透さんは、長年にわたって高校の保健体育の教師を務めてきた人物。
教育の現場で生徒に慕われ、のちに教頭職にまで昇進されました。

2015年、桂米團治さんは兵庫県立西宮今津高校の落語鑑賞会に出演。

そのときの記念写真が米團治さんのブログにありました。
一番右が教頭の中川透さん、右から2番目はざこば師匠です。

引用元 https://www.yonedanji.jp/2015-11-20

終演後、弟から私が高座で言い間違えた箇所をすかさず指摘されました。身内は怖いよぉ(^◇^;)
引用元 https://www.yonedanji.jp/2015-11-20

米團治さんの弟の透さんも、子供のときから父親の米朝さんやそのお弟子さんと過ごすなかで、自然と落語を覚えていたのかもしれませんね!

父・米朝さんが家庭でも厳しくも温かく、文化や礼儀を大切にしていたといわれるように、次男の透さんも教育者として誠実にその精神を受け継いでいるのかもしれません。

三男の中川涉(わたる)は博物館の学芸員!

桂米團治さんの兄弟・三男の中川涉さんは、大学卒業後、兵庫県教育委員会に技術職員として入庁。
遺跡の発掘調査員や県立考古博物館の学芸員として勤務されていました。

2017年に開催された兵庫県姫路市の特別展「人間国宝・桂米朝とその時代」を涉さんが手掛けました。

職場では「米朝の息子」であることを“封印”してきたそうですが、同館への異動内示を受けたその日に父親・桂米朝さんが他界。

「家族だからこそ伝えられる米朝の生涯がある」

という思いから、親族や一門に支えられ、日記や手紙など多く未公開資料を揃えたそうです。

米團治さんの話の中にも「弟たちはそれぞれまじめな職業に就いた」との言葉がありました。

兄弟それぞれ異なる道を選びましたが、学術・文化に携わる職業に就いたという点では、父や兄の影響が感じられますよね。

兄弟仲も良く、家族としての絆が今もしっかりと続いているようです。

     

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桂米團治は兄弟でただ一人落語家になった理由や評判は?

桂米團治さんが、兄弟でただ一人落語家になった理由は、母親のこの言葉があったから。

うちは私の下に双子の弟がいたんですが、母が“3人のうち誰かは落語を継がないと”と言っていたんですね。
引用元 https://toyokeizai.net/articles/-/300101

そして、米團治さんが高校生の時、父親・米朝さんに“落語家になりたい”と伝えました。
ところが、

やめとけ!

と一蹴されたそうです。
喋りも上手くないし、向いていない」と言う米朝さんに対し、助け舟を出したのが、お弟子さんの二代目桂枝雀さん。

“師匠、この子、噺家になりたい言うてますねん、やらせましょう”(中略)
“ほんなら名前決めましょう”って、もう枝雀さんのペースで、タンタンタンって話が進んだんです
引用元 https://toyokeizai.net/articles/-/300101

そうして、ついた芸名は桂小米朝

まるでわが家にいるように屈託なくふるまう2人の弟のかたわらで兄の米團治(当時小米朝)は、20代の下っ端落語家として、兄弟子や関係者に頭を下げ、つねに周囲に気を配っていた。
引用元 https://toyokeizai.net/articles/-/300101

当時を振り返り、米團治さんは、

なんとか早く一人前の噺家になりたいという焦りで、一生懸命だった」

と語っています。

そうして身に付けた米朝さん仕込みの米團治さんの落語は、聞きやすいと評判!
上方弁でいう、シュッとした(垢ぬけていてスマートな)高座姿で色気があるともいわれています。  

       

桂米團治さんの超美人の嫁・由起子さんとの馴れ初めや実家の情報などが気になる人は、こちらもどうぞ!

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まとめ|【画像】桂米團治の兄弟は双子の弟!次男は高校教師で三男は博物館の学芸員!

ということで今回の記事では、

桂米團治さんのプロフィールや米團治さんの兄弟の職業、そして米團治さんが落語家になった理由も詳しくご紹介しました。

  • 長男:桂米團治(落語家)
  • 次男:高校教師(教頭)
  • 三男:博物館の学芸員

それぞれ異なる道を歩みながらも、父・桂米朝さんが築いた芸の魂は、落語の世界だけでなく、教育や文化の現場にも息づいているのかもしれません。

そんな温かな家族愛や教養が自然とにじみ出ている米團治さん、ますますの活躍が期待されますね。

それではまたお会いしましょう!

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