政治家として強い存在感を放つ高市早苗(たかいち・さなえ)さん。
内閣の要職を歴任し、自民党総裁に選ばれた一方で、一般家庭に生まれ、自らアルバイトで学費をまかなうなど、努力を重ねてきた“苦労人”でもあります。
そんな高市さんには、意外な一面も。学生時代はバンドでドラムを担当し、バイクで通学するというアクティブな学生生活を送っていました。
そんな青春時代を過ごした高市さんが政治家を目指したきっかけは松下政経塾での松下幸之助さんの言葉にあったのです。
それではさっそくですが、
高市早苗さんのプロフィールや生い立ちや学生時代のエピソード、そして政治家を目指すきっかけまで詳しくご紹介します。
高市早苗のプロフィール!年齢や出身は?
- 名前:高市早苗(たかいちさなえ)
- 生年月日:1961年3月7日
- 年齢:64歳(2025年10月時点)
- 出身地:奈良県奈良市
- 学歴:神戸大学 経営学部 卒業
- 元所属:松下政経塾(第5期生)
- 所属政党:自由民主党
- 現職:衆議院議員(奈良県第2区)
高市早苗さんは大学卒業後、松下政経塾に入塾し、1993年に衆議院議員として初当選。
その後は総務大臣や内閣府特命担当大臣など、数多くの重要ポストを歴任してきました。
芯の強さと冷静な判断力が持ち味で、「初の女性自民党総裁」として注目を集めています。
高市早苗の生い立ちは?小学生から大学まで!
高市早苗さんの生い立ちを、幼少期から大学までご紹介していきます。
優等生の幼少期から中学生時代
高市早苗さんは、奈良県奈良市の一般家庭で育ちました。
父親は自動車関連会社に勤務し、母親は奈良県警に勤務。共働きの家庭で、弟の面倒を見ながら家事を手伝うなど、幼い頃から責任感の強い性格だったそうです。

小学校低学年までは人見知りな性格でしたが、転校をきっかけに積極的な性格へと変わっていったといいます。
また、母親が仕事で忙しかったことから「自分のことは自分でやる」自主性が自然と身についていったそうです。
このころから周囲に流されず、自分の意見をはっきり言えるタイプだったといわれています。
高校生時代
高市早苗さんの出身校は奈良県立畝傍高校(うねびこうこう)。偏差値69という、なかり有名な進学校に通っていました。
成績優秀でありながらも、個性あふれる青春を送っていました。
高校では、16歳で中型バイク免許を取得。高則で禁止されていたバイク通学をするなど、かなり活発だったようです。
また、この頃からヘビーメタルやロックが高速でで、休日はライブハウスに足を運ぶなど、音楽漬けの高校生活を送っていたそうです。
大学進学にあたっては、「短大に行かないなら学費を出さない」という考えのご両親に反発。そして、高校時代にバイトをしてためたお金で東京の慶応大学を受験。
見事合格しましたが、入学金を払った時点でお金が尽きてしまい、やむなく実家から通える神戸大学に進学したと語っていました。
大学生時代
神戸大学経営学部に進学した高市早苗さんは、学業とアルバイトを両立しながらの学生生活を送りました。大学の学費は親の援助なしにアルバイトで賄っていました。
飲食店や家庭教師、着ぐるみを着たりするなど、複数のバイトを経験していたそうですが、パーティーコンパニオンの時給が一番良かったと語っていました。努力家な一面がうかがえますね。
大学では経営学を専攻しており、数字や理論を重視する合理的な考え方を身につけたことが、後の政治家としての基礎にもなっています。
さらに、大学3年のときにロータリー財団の奨学金を得て米国ノースカロライナ大学チャペルヒル校に留学。ここで「政策立案はデータとリアリズムの融合である」という信念を強くし、国際感覚を身につけました。
その一方で、多彩な趣味に熱中した大学生時代を過ごしています。まずは、バンドを組み、ドラムを担当。

複数のバンドを掛け持ちし、髪をピンクに染め、ステージに立っていました。X JAPANや聖飢魔IIに憧れて、激しいパフォーマンスを見せていたそう!
ほぼ同時期に、大学から聖飢魔2がプロになったのを見ていて、目標にしていました。国会答弁の資料も、閣下の曲を聞きながら、気持ちを盛り上げて読んでいるんです
引用元 日刊スポーツ
時には、バックバンドとしてプロの現場にも立っていたといいます。
また、バイクが趣味の高市さんは、愛車のカワサキZ400GPでツーリングを楽しむなど、アクティブな大学生活を満喫していました。

後に、オートバイ愛好家である国会議員で構成された超党派による「バイカーズ議員連盟」にも参加しています。
さらに、スキューバダイビングや漫画、プロ野球・阪神タイガースの観戦など、多彩な趣味を楽しんでいたようですね。

高市さんが大学4年のとき、松下政経塾に入塾するという大きな決断をしました。松下幸之助本人と面接で会った際、ものすごいオーラと目力に圧倒され、「この人の元で学びたい」と強く感じたそうです。
高市早苗の政界へのきっかけは松下政経塾!
一般家庭に育った高市早苗さんが政治家を目指したのは、松下政経塾に入塾したことがきっかけでした。
当時の松下政経塾は日本のリーダーを育成することが目的で、経営者・国連職員・学者などを目指す人も多くいたそうです。
松下政経塾に入り1年ほど経ったころ、松下幸之助さんの話を聞いていて、政治家になると決心したそうです。その言葉とは、
米ソ冷戦時代は終わりを迎える、東南アジアの繁栄が始まる、日本は長期不況に入ると、1985年に松下幸之助さんが言っていたそうです。
当時は、米ソ冷戦の真っ只中でしたし、東南アジアは発展途上でしたし、日本は好景気に沸いていましたから、信じられなかったそうです。
「政治は、国家経営だ」という松下幸之助さんは常々言っていたそうで、
と、そのとき強く思ったそうです。
とはいえ、地盤・基盤・看板のない自分に何ができるだろう?とも考えたが、「30歳までは勉強だ」という松下幸之助さんの言葉に従い、自分に何が足りないか勉強してみようと行動していったそうです。
高市早苗さんの一貫したブレない姿勢は、このころから培われていたのですね。
まとめ|高市早苗の生い立ちは一般家庭育ちで学生時代バイトしていた!
ということで今回の記事では、
高市早苗さんのプロフィールや生い立ちや学生時代のエピソード、そして政治家を目指すきっかけまで詳しくご紹介しました。
「政治は、国家経営だ」という松下幸之助さんの言葉が、高市早苗さんが政治家を目指すきっかけとなりました。
高市さんは奈良県の一般家庭で育ち、努力と情熱で道を切り開いてきた人物です。
学生時代にはバンドに夢中になり、バイクを乗りこなし、アルバイトにも励むなど、行動力と独立心にあふれた人生を歩んできました。
そんな人間味あふれる一面が、多くの人々から支持される理由なのかもしれませんね。
それではまたお会いしましょう!
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